愛する人が逝ってしまった。
私が春に日本に戻るまでいてね!って祈っていたけれど、宇宙のプログラムは私の祈りとは違っていたようだ。
今、こうして書いているのは誰のためでもない。私自身のため。
その人がどんな風に死を迎えたかなんて、他人には分かり得ないだろう。死は、計り知れない神秘の現象なのだから。
あまりにも平易な言葉だけれど、安らかな死であったことを心から願う。
生と死は、同じ。ひとつの現象なんだ。
毎日、どこかで誰かが死んでいる。毎日どこかで誰かが生まれている。
生きていることが習慣のようになって、なんでか知らないけど昨日も今日も生きている。
あぁ、なんで生きてるんだろうーーって、そんな風に自分に与えられた人生を生きてないかどうか。今一度自分自身に問うてみる。
今、本当に生きていなけりゃあ、本当に死ぬこともできない。
生と死はふたつの異なったものではなく、ひとつの現象なんだってことを深呼吸しながら肚に落とす。
生と死がまったく別物だという考えは、大きな誤解です。死を知ることによって、やっと本当の人生を生きることができるのです。
生というアートは死というアートと共に始まります。誕生と死のやってくる同じスペースから、わたしたちの愛やエクスタシーもやってきます。
ボーディ・バイラブ
『REAL WOMAN』
これが最後かもしれないー。いつも心に命じておく。
肉体から離れて自由になって、無限の空を笑いながら飛んでるんだろうなぁ・・・
ショックから少しずつ真ん中に戻ってきてはいるが、なんでだろう、悔しさのような思いが断ち切れない。
今回でのミッションがはっきりしていた人で、そして、その使命を生きていた。そんな人がなんで逝っちゃうんだよう!
私と最後に会ったのは、病いが発覚する直前だったと思う。その時、いろんな障害を乗り越えて会いに行った。なんか会わなきゃいけない、そう感じてたから。
まさか、それが最後になるとは思ってもなかった。そのときの会話は、今でも鮮明に覚えている。何かから、誰かからは分からないけれど、その託された何かを互いに感じ合う時間がほんの少しだけあって、それがとても私の心に深く刻まれている。
託したよ!
よろしく頼むよ!
そんな掛け合い以上の、何か、なんだろう、よくわかんないけど『わかった』んだよね。
それが、肉体を離れたせいなのか、ものすごく強烈に感じる。
Oshoは、いつも言う。
これが最後の瞬間かもしれない。
そう、まさしく最後の会話には、そんな切なさと、強さと、強烈さがあった。
あのとき無理をして会いに行って本当によかった。愛を表現することをためらわなくて本当によかった。本当によかった。私のために本当によかった。
この記事を読んでいる方にも、心から伝えたい。
愛を表現できる機会をどうぞ逃さないようにしてください。
相手がどう受け取るか、
どのような反応をするか、
そんなことを自分に伺いながら、あちらでもない、こちらでもないーーーそんな風に貴重な時間を無駄にしないようにしてほしいな、と思います。
だってね、
次の瞬間、その人はいなくなるかもしれないのだから。
痛みでも、喜びでもなく、その中間へ。
痛みは、まだしばらく続くだろう。痛みと喜びはおなじコインの一枚なんだけど、どちらの極でもないところーーそこへ行くんだよ!トーシャン!そこだよ!それだよ!
そう言って、ケラケラ笑っている笑顔が見えるようだなぁ。
そこへ行くんだよ!って、あなた、それはまさにタントラ じゃないですか!
死をもってして、まだ助けてくれる友人の慈愛の深さに胸打たれて涙がとまらない。
私の可能性を、ちょっと先の、これから開花する、その場所をいつも励まし支えてくれた。
本当にありがとう!
彼女は祈りの力を信じていた。
私も今、彼女に祈る。
よしみよ、光に向かって、進め!