両親インド紀行の最後になります。
ここまで読み進んで頂いてありがとうございます。
今回特に父親にとってインドへの旅の目的のひとつは、北インドにあるヴァラナシに行くことでした。なぜ彼がヴァラナシに行きたいと言い出したのか、深いところでの本当の理由は私にはわかりません。
ただ、年齢的にも「死」が他人事ではないリアリティをもってきている彼らにとって、インド人の死生観を目の当たりにする体験は実に深く貫いたのではないかとそばにいて感じていました。
彼らが初めて目にしたインドの火葬場。
ショックだったと思います。言葉は少なかったけれども、そのように私は感じました。
そして、その火葬場のすぐ隣では沐浴する人々がいて、洗濯をする人々、歯を磨き体を洗う人々、祈りを捧げている人々、瞑想している人々、ヨガのアーサナを実践している人々。
そして、それらを観光目的で川に浮かんだ小舟から、それぞれの馳せる思いとともに見ている私たち。
母なるガンジスはそのすべてを包括し、抱擁しているという言葉は小説やガイドブックだけのことでないことの体験は、すべてが整然と美しく型にはめられている日本に生きる私たちには程度の差はあれ心の深くに一石を投じる時間でした。
こうした旅の体験を通して、十数年の間、両親の口からは決して話題にのぼることがなかった最大のタブー『OSHO』について、かつてないほど正直に話しをすることができたことは、私にとってはこの上ない幸運だと認識しています。
帰国した両親からはメールで『和尚関係の皆さんによろしく』と書いてありました。
それを読んだ私の笑顔を皆さんは想像できますか?
子供は永遠に子供ですから、子供である私にとっては親が認識したことを体感できるのは本当に祝祭です。
今こうして、両親からの信頼と祝福を受けていると確かに感じることができる私には、ただ感謝ばかりが溢れています。
長くなりました。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
皆さまにとってビューティフルな1日でありますように。
Love,
Toshan