昨夜、外出先からの帰宅途中のこと。
水曜夜の10時10分、中央線通勤快速高尾駅行きの電車に新宿駅から乗り込んだのね。
乗車率8割くらい、そんなに混んでない平日の夜、乗った途端に飛び込んできた風景は、#インスタ映え(ハッシュタグ付きやで)以外何ものでもなかったのです。
異様な光景なのか、それとも、、、
私が目にした光景というのは、7人座れる乗車席に座っていたのが全員女性だった。年の頃は、20代から60代ってとこ。
それくらいでは、まぁ、そんなに驚かない。ちょっとした偶然みたいなもんよね。
ブッタマゲタ✴のは、その7名の老若女子たちが、
ものの見事に、ぜーーーーーーーっんいんスマホ見てたわけ。
しかも、結構マジメな顔つきで。眉間シワ入ってる女性もいたわね。
その光景マトリックスに入ってしまったような感覚になっちゃったんです。どこかで知っていたんだけど、実際目の当たりにしたのは、たぶん昨夜が初めての遭遇事件。ある種の感動すら覚えました。
「トーシャン、あんたはなぁ、そんなことも知らんのか。」と言われそうだけど、これって東京のような都心では日常風景なんでしょうねぇ。ホンマにそうやわ、私はもはや、浦島太郎。
何も複雑なことはない。ただ、知らんだけなんよ
私も今じゃあ、自他共に認める浦島さんだけど、若かりし頃はOLしてたので彼女たちの気持ちは想像に難くない。
毎日の通勤電車、変わりばえのしない退屈な日々。生きがいを探しているけど、どこへ何をどうやって探しに行ったらいいものやら。その方法すら知らなかった20代の頃。
今のようにインターネットも普及してなかったし、情報源って本屋(?)とオタクな友人たちくらいしかいなかったかもしれない。
情報を求めて探していた時代なんて今じゃあ、もう信じられないけどね。でも、今は逆現象で情報過多になっているから知らないし、分からないことも沢山あるって時代。
この記事を読んでくれているあなたは、きっと瞑想や自己探求、タントラや性エネルギーの変容ってキーワードで、高受信アンテナがあるから、すでにいろんなことを知っていると思います。
でもね、本当にそうなのかな?
新しいものに飛び出すタイミングとちょっとした押し
瞑想って本来の自分を探す旅。探求って始まりはあるけど、終わりはない旅です。って、会う人たちによくそうお伝えしています。私が発行しているメルマガのタイトルも「シヴァとシャクティのが目覚める旅」と呼んでいるように、自分を再発見するって、新しい旅に出かけるようなもの。
その旅の目的は、とてもシンプル。
本来の自分と出会うこと。
でも、その出会いはどれだけ探しても、いくらお金をかけても、スマホの中には見つからない。残念だけど、とても残念なお祝いなのです。
スマホの中にないとしたら、どこにあるんでしょう?
もちろん自分のなかにある。自分の内側以外、どこにもない。自分しか見つけることができない。そういう旅なんだよね~。
だから地図もない新しい旅を始める最初の一歩は、小さくていいと思う。この小さな一歩は、そののち何千万倍の大きな一歩となるのだから。
ふてくされて退屈しきって泣きたくても泣けることすら知らなかった私でも、この一歩は踏み出せた。この怠け者のビビリな私でも歩み出せたのだから、大丈夫!
ちょっとした押しが必要なときは、いつでもトーシャンに声かけてね。崖っぷちに立ってる人を後ろから蹴飛ばすような手荒なことは、滅多にいたしませんよ。オホホ♡
トーシャンより
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