変化だけが永遠に約束されている生というLIFEを生きる
このブログ記事のタイトルを見て、
「まさかワタシのことでは・・・?」
と、思わずメールを
開封した人もいるかもしれませんね。
このOshoの言葉は、
私に深く、深く浸透しました。
これはまさしくワタシのことだったから、です。
Oshoに出会う前の、
瞑想に出会う前の、
タントラに出会う前の、ワタシです。
冒険や探検に出かけるのを
心の底から夢見ていながら、
映画や本の物語のなかだけで
偽の満足感をしばし味わうに留まり、
未知なるもの、
大いなるもの、
見えないもの、
よく分からないもの、
知らないもの、
今までのやり方が通用しないもの、
その瞬間での呼応が求められるもの、
そういった類のことは一切合切
遠い夢物語にして終わらせようと奮闘していました。
でも、私のどこかは知ってました。
「この生き方は、ゆるやかに
そして確実に、一歩、また一歩、
ワタシという物体の
部分部分が壊死し続けて
やがて死んだという感覚も
持てないほどになった頃、
ワタシは生きながらにして
死んだことになるだろう。」
生の非永遠性と生きるにはガッツがいる。
なぜなら、
いつもなにかが変化し、
そのたびにあなたは
自分を変えなければならないからだ。
人は一定のままでいたがる——
その方が安全で、
安心のように思えるのだ。
古い人間はそうやって生きてきた。
古い人間は冒険を好まなかった。
そのすべての関心は安全性にあった。
新しい人間は冒険心を持つことになる。
その関心は安全性にはなく、
関心はエクスタシーにある。
人は、
「私は知らないが、
知ることに関心がある。Osho
私には、どんな次元、
どんな冒険にも入っていく用意がある」
と言えるだけの能力と勇気を持つことになる。
新しい人間には危険を冒す用意がある。
古い人間はひじょうにビジネスライクで、
危険を冒す用意はまったくなかった。
危険とは呪いのことで、
安全こそが古い人間のゴールだったのだ。
だが、安全と共にあなたは死に始める。
生がより高く、
より高く豊かさを増して成長していくのは、
ヒマラヤのいくつもの頂に届くのは、
冒険、絶えることのない冒険の中でのみだ。
このまま死ねない、死にきれない
そんな思いが通じたときに
ワタシはOshoに出会いました。
憧れの仕事を失い、
結婚したいと思っていた彼氏と別れ、
コミュニケーションのミスで
誤解されたり、裏切り者扱いされたり、
不眠が続いてるのに、
週末は夜な夜な不良な遊びに耽って、
もうヤケのヤンぱち野郎そのもの。
そんな時だったからこそ、
瞑想に出会い、
タントラに出会い、
本当に救われたのです。
生がより高く、
より高く豊かさを増して成長していくのは、
ヒマラヤのいくつもの頂に届くのは、
冒険、絶えることのない冒険の中でのみだ。
絶えることのない冒険、
たったひとりで向かうには、
ときに不安になることもあります。
だからこそ、
グループワークが大いなる助けになります。
冒険を一緒に歩む
仲間が支えになります。
タントリックな死という、
この偉大なる生の扉を開け放つ
冒険に出かける旅の仲間を募集してます。
ひとりでは危険が伴うことも
大いにあるかもしれない、この旅。
私たちと一緒に行ってみようかな、
この人たちとならヒマラヤの
いくつもの頂に届く旅に出かけてみるのはいいかもしれない。
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