自分の内側で起こったことの学びが夜の講話で話される不思議な現象
プーナでの夜の瞑想(イブニングミーティング)でOSHOからのメッセージ。
覚えているところだけというか、
来た~っ!というところを抜粋して自分用のメモとしてとっておこうと思ったけど、OSHOのこの言葉が私と同じように感じる人もきっといるかもしれないからシェアします。
ここで毎晩あるホワイトローブでは、その日に起こったこと(内側だろうが外側だろうが同じだけど)とシンクロすることが驚くほどの頻度で起こる。
「やだぁ、OSHOったら、私に起こってたことをどこから覗いて見てたんです~?!」
なんて勝手に赤面することもわりとよくあって、そういうことのすべてがここプーナにいる面白さでもある。
こうやって聞いたOSHOの英語を日本語で改めて見ると
あぁーっていうのが再びやって来るなぁ。。。母国語恐るべし。
トーシャン忘れちゃいけないよ!
と自分に言い聞かせておく————
あなたの勇気が機能しはじめるための簡単な練習 by Osho
だが、過去を振り返ることができるのは、唯一あなたが過去に執着していないときにのみ可能だ。
そうでなければあなたはそれを観察し、見る時間が持てず失うことを恐れる。
そしてその時間はごく僅かだ。
重要なのはあなたの選択だ:学ぶための選択、体験するための選択、闇に向かうための選択。
ゆっくりゆっくりとあなたの勇気が機能し始めるだろう。
そして知性の鋭敏さは勇気とかけ離れている何かではなく、それはほとんどひとつの有機的な全体だ。
恐怖があると臆病さ、遅らせようとするマインド、平凡さがある。
それらはひとつの部分だ。
それらはすべて一緒で互いを支えあっているのだ。
勇気があると鋭敏さ、知性、オープンさ、予測しないマインド、学ぶ能力—
それらがすべて一緒にやってくる。
簡単な練習から始めなさい、それはこうだ:
つねに覚えておいておきなさい。
そこに選択があるときには、いつでも未知なること、危険をともなう冒険的なこと、危険なこと、不確かなこと、そしてあなたが途方にくれるだろうことを選択するのだ。
そして、そのときに初めて死は途方もなく知らなかったことを明らかにする体験になりえるだろうし、新誕生への一瞥を得ることができるだろう。
一瞥ばかりでなく、特定の選択もすることができるだろう。
気づきをもってあなたは特定の母親、父親を選択できる。
普通はすべてが無意識で偶発的だが、気づきとともに死ぬ人は気づきをもって生まれる。
Osho
From Misery to Enlightenment
(邦訳本は未出版)
前世で最後にやり残したことを次の生でやり遂げる
Oshoは前世で死ぬ前に21日間の断食をしていたが、終了する3日前に殺されたので断食が未完結のままだった。
それで、時世(今回私たちと同じ20世紀に肉体を持ったとき)では生まれてから3日間は母乳を口にしなかったそうだ。それで家族中が心配して、あの手この手をつかって母乳を飲ませようとしたが無駄だった。
自分としては断食を完結させるためのことだったが、科学的に証明できることではなかったので家族にそのことを言うことはなかったそうだ。
過去生でやり残したことを次の生で完結する。ただし、O shoのように意識的に死んだ場合はそうだが、ほとんどの人は無意識の中で死ぬので、母と父を選ぶことなどすることもなく偶発的に次の子宮に入り生まれてくる。
Just start with a simple formula:
Never miss the unknown.
Always choose the unknown and go headlong.
Even if you suffer, it is worth it – it always pays.
You always come out of it more grown up, more mature, more intelligent.シンプルなやり方から始めなさい。
未知なるものを決して逃してはいけない。
常に未知なるものを選択し、真っ逆さまに進みなさい。たとえそれであなたが苦しんだとしても、そうする価値はある。
その代償は常に払われる。あなたは常にそこから出てきなさい。
そうしたら更に成長し、より成熟し、さらに知性があふれる。Osho
雨のプーナより
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