ヴァラナシに行ってきました

 

お久しぶりです。なんと今年に入って初めてのブログ記事投稿です。

はて、一体その間何をしたのでしょうか。最後に記事を書いたのはリシケシ瞑想ツアーに行く前でしたから、あれからずいぶん時間が過ぎてしまいました。今日は初めて行ったヴァラナシについてお話ししたいと思います。

ヴァラナシは汚い臭いという噂は本当だった?

Ganga-Varanasi

 

ヒンズー教徒の聖地である、ヴァラナシに着いたのは2月の初め。私のメルマガを読んでくださっている方はご存知かもしれませんが、今回の旅は両親と一緒でしたのでなんていうか初めて観光者としての旅をしたわけです。

うねったガンジス河一帯に広がった古い街で、古代インドの大都市であったことが伺われる街。

Varanasi(ヴァラナシ)と呼ばれる由来は、365あるガートがVaruna(ヴァルナ)ガートから始まり、Assi(アシ)ガートまであることから最初と最後の名前がひとつになってヴァラナシとなったそう。

 

ヴァラナシと言えば、汚い臭いとは聞いていましたが、うん、たしかに汚かったし、臭かった。今までのインドを旅したなかで、うなるほどのすごさを感じたのはここが初めてでしたね。

 

インドって本当に不思議な国で、こうやって写真に収めてみるとすごく魅力的に映る。いや、本当に確かに魅力はあります。数日しか通過しない一般の観光客には、その秘密の扉は開かれないのは明らかだし、今回の私の旅もそうしたいわゆるサワリの部分だけだったでしょう。まちがいなく。

 

それでもなお惹きつけられる磁力のようなエネルギーは、きっとこの土地に感じられる独特の香り。それは臭気とも言えるかもしれないけれど(笑)なぜか人々を魅了する。おそらくそれはきっと、ここには生と死が強烈に感じられるからなんだと思わざると得ない。

 

ganga-river-bird

 

死をまっすぐに見つめる街ヴァラナシ

 

私が初めてインドで肉体が荼毘されるのを目の当たりにしたのは、11年前のプーナでハプンしたデスセレブレーションでした。その時の強烈な思いは今でも昨日のように思い出すことができます。

死はお祝いなのか?!

 

死の祝祭とはなんと強烈で残酷で美しいんだろう。と当時思ったものです。

 

burning ghat

 

ヴァラナシは、ヒンズー教徒にとって死を迎える最高の場所であり、そこで肉体が荼毘され遺灰はガンジス川に流されるとき魂が肉体から離れる痛みがない。といいます。

 

今回はガンジス川の小舟から火葬場を眺めただけだったけれど、それでもやはりプーナのDeath Celebrationとは違うエネルギーを感じました。それはなんというか集合無意識の濃密さとでもいうのかな。ヒンズー教徒の人々がここに何世紀も渡って同じ思いで肉体を離れていった歴史の重みかもしれない。

 

この旅の味わいを深めてくれたもうひとつが遠藤周作著の『深い河』でした。5人の人物がそれぞれの人生の背景や思いを抱きながらインド、そしてヴァラナシに向かう旅が非常に細やかに描かれている。

 

ちなみに映画化もされていたそうです。このビデオは今回5月に帰国したらぜひ観てみたい。

deep river movie

 

遠藤自身、取材のためにこの地を訪れたそうです。そのせいか、小説でありながらヴァラナシやインドに自分がいるかのごとく感じることができ、まぁ、実際私はまさにその場にいたので更に臨場感溢れる細やかな描写や表現に心打たれました。さらにいわゆる古風な日本人男性たちの生き様や、そこに関わる人々とのやりとりは、日本人なら誰でも共感してしまいます。

それぞれの主人公に日本人特有の個性と苦悩が描かれているのですが、どの人をとってみても実によくわかる。自分と重ねたり、自分の両親や兄弟を重ねたり、親戚や近所に昔こういう人がいたなぁとか。時代背景も、その当時の雰囲気なども実際その時代に生きていなかったとしても集合無意識にはこうした心の様子というのはわかりやすいものですよね。

 

家族の座というセラピーアプローチの視点からすると、ここは《良心》と呼ばれる領域。帰属しているグループや団体、家族、社会、国家には独自の生きる法則が存在する。それがその種が存続するための目的であり第一優先だから、個人の自由意志は尊重されない。英語で記載したほうがもう少しわかりやすいかも。

良心はConscienceの日本語訳、CON=反対 SCIENCE=科学 科学の範疇ではない領域という解釈に私は合点がばっちり合う。英語的にはもう少し違うだろうけれど、Conscienceを分解したら『科学の反対』だなんて、わかりやすすぎる!

だから、ある特定の部族や社会が持つ特有の習慣や伝統に対して、部外者は理解することができないことがある。そして、良心は意識 Consciousnessではない。気づいて醒めている状態ではないということ。

 

瞑想者にとってはここが一番のポイントなんじゃないかと思ってます。瞑想はConsciousness(意識)であり、Conscience(良心)ではないのですよね

 

だからこそ、自分がどれだけ良心と呼ばれる領域に自己同一化しているのかということを知る意味においても、この本はセラピーブックとしておすすめしたい。

 

5月30日(土)〜31日(日)@江ノ島

《シヴァシャクティの目覚め》Course for  Everyone

Awakening of ShivaShakti の参加申し込みはこちら

 

6月5日(金)〜7日(日)@山梨

《シヴァシャクティリトリート〜エネルギーの円環〜》Couple Retreat

ShivaShakti Retreat – Circulation of Energy-の参加申し込みはこちら

 

 

 

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タントラとは何か? 私とは何か? トータルに生きるとは?自分を探求する情熱がとまらず、インドに暮らして15年になろうとしています。 シヴァがシャクティに語る愛の言葉ヴィギャン・ヴァイラブ・タントラ『ハートを開き宇宙とひとつになる112の秘法』をパートナーのウッタムと共に実践し、日本やインドでワークショップ&リトリート開催。 メルマガ登録はここから!「シヴァとシャクティが出会う歓喜の旅