ラクシャ・バンダンって何?
シュラーヴァナ月、つまりシヴァ様の満月に兄弟姉妹の絆を祝福する日。
多くの場合が姉妹たちが兄弟たちにラキを左手首に結んでもらいます。
「お兄さん、わたしをどうぞ守ってください。」
「僕はきみをいつも守るよ」
というのが私自身が個人的に感じる意味合いです。
今年は、8月30日。
ヒンズーの人たちは、この日は休暇をとる多いですね。
今日は家族と、兄弟姉妹が集まるので仕事はなし。甘いお菓子や美味しいご飯を囲んで、家族水入らずの時間を過ごすのが現代風のようです。
伝統的なラクシャ・バンダンの意味
いつも素敵なインドの風を送ってくれているスピリチャル雑貨「シータラーマ」さんのサイトから抜粋引用させていただきます。
ラクシャ・バンダンは、シュラヴァナ月の満月に兄弟姉妹の絆を祝福する吉日です。ラクシャ・バンダンについての簡単な解説を、以下Raksha-Bandan.comよりご紹介させていただきます。
ラキ:愛の紐ラキは、兄弟・姉妹の愛情で彩られた神聖な紐のお守りです。ラクシャ・バンダン(守護を結ぶの意味)として知られるこの日は、ヒンドゥー暦におけるシュラヴァナ月の満月の日に祝われます。一筋の紐に過ぎないラキは、 愛と信頼の固い絆の中でもっとも美しい関係を結ぶとき、鉄の鎖より強いとみなされます。 また、誰もが助け合い、仲良くするべきという概念を広めるために、ラキの祝日は社会的な意義があります。
伝統と習慣ラクシャ・バンダンの祝日は、兄弟・姉妹間で分かち合う愛情に捧げられます。 この日、姉妹たちは、兄弟の長寿と祝福を神に祈ります。 姉妹たちは、兄弟に美しいラキを贈り、この世界の悪から姉妹を守ることを約束します。 この習慣は古くからあり、ここで行われる儀式は地域によって異なりますが、その美しい意義はどこにおいても変わることはありません。
ラキの意味調和をもたらし、家族をひとつにまとめるために、ラキの祝日には大きな意味があります。ラキは、兄弟・姉妹間の愛、すなわち彼らが子供の頃から共有している愛の絆を表しています。 ラクシャ・バンダンを祝う習慣は遙か昔に遡り、今なお、人々は伝統的な方法でその愛情を表現しようとしています。ラキは、古い時代から、兄弟・姉妹間の愛の絆を強く結びつけてきたのです。
ラキのお祝いラクシャ・バンダンのお祝いは、兄弟・姉妹間の穢れのない愛を表す祝日です。 古くから、この祝日は歓喜をもって祝福されてきました。ラキは兄弟・姉妹間の無条件の愛の証です。 女性たちは、少なくとも祝日の2週間前から準備を始めます。その一日を特別な日にするために、人々はラキや贈り物、ラキ・プージャーのプレート、お菓子などを買います。 これはまた、この神聖な祝日を祝うために家族が集まるという一つの機会にもなります。愛する人々の間での贈り物は、この特別な日を心に残る美しい思い出にしてくれます。
スピリチュアルインド雑貨 SitaRama(シーターラーマ)
出典:Raksha Bhandan, http://www.raksha-bandhan.com/より翻訳転載
https://www.facebook.com/sitarama.jp/
ラキってどんなもの?
Rakhi(ラキ、あるいはラキー)には、様々な美しいデザインがあります。
この季節になると色鮮やかなラキを見つけることができます。
女性たち、つまり姉妹たちは兄弟たちに着けてほしいラキを探すんですね。
インドのお寺でつけてもらう赤い糸と同じ?
私たちがタントラ瞑想リトリートを開催するカジュラホや、リシケシなど、インド各地の寺院にいくと、お坊さんが赤と黄色が混ざった紐をお経を唱えながら着けてくれますが、それとラキは違うものです。
これは「プージャ・モーリ(Puja Mouli)」と言います。
わたしもカジュラホの寺院で着けてもらったものを着けています。何らかの理由やはずみで取れちゃったり、切れちゃったりするまではずっと着けています。
わたしの場合は、タントラ寺院で着けてもらったのでシヴァ様が守ってくれているんですね。
切れたり、取れたりしたということは、あなたの身代わりとなって守ってくれた。あるいは切れると幸運が訪れる、とも言われています。
Oshoというマスターが弟子に贈った意味を考えてみる
守ってください。と願いを込めるのは女性たちです。
インド人女性ショバナがOshoとの出会いによって自ら覚醒し、変容していく『生の変容』という一冊の本があります。
この物語の後半に、Oshoがショバナにラキを贈ります。
震える手で蓋を開けると、中に色鮮やかなラキがありました。
マ・クリシュナ・ショバナ著「生の変容」
私の存在のまさに中心が触れられ、愛、献身、感謝・・・・そして言葉にすることのできない、瞳から感情が溶けていくことによってしか表現できない気持ちがないまぜになり、私は泣きました。
第九章 目覚めた愛へ より一部抜粋
その伝統からすると、マスターが弟子に贈るというのは不思議に感じるかもしれません。
本を読んでいくと分かるのですが、ラキを受け取った時のショバナは人生の困難な時期を迎えていました。
Oshoをマスターとして、その弟子として生きることで家族や親戚・近所や世間から批判され続けただけでなく、自身の内面からやってくる抵抗や感情の波に翻弄され、ついには自らの一言によってマスターから禅の一撃を打たれます。
自分の足で立つように。
当時のインドで女性が内的にも外的にも自立するなど想像すらできなかった時代に、マスターは弟子に投げかけます。
自分の足で立つように。
それがどれほどの意味をもたらすのか。
自由な現代を生きる私たちには知る由もありません。
そして夫が破産し、自殺。
Oshoはちょうどその頃、世界ツアーからインドに戻りショバナは彼と再会します。彼はショバナの状況を知っていたんですね。
そしてラキが贈られます。
1人の弟子に贈られたこれほどの愛を感じるとき、涙せずにはいられません。Oshoには何万人という弟子たちが世界中にいるのですから。
そして肉体を離れた今もなお、こうして私たち弟子の1人ひとりに繋がり、彼の慈愛の雨が降り注がれない日は1日たりとしてない。
受け手である弟子の私たちが、どんな状況であろうともーー。
Oshoがショバナに贈ったラキに込められたメッセージは、彼女だけでなく、私たちも受け取ることができることの価値を忘れないでいたいです。
マスターへの明け渡し
どれだけ受け取れるのか。
どれほど受け取れるのか。
それはひとえに私たちのハートにかかっています。
マスターへの明け渡し、深い明け渡し。
そしてタントラは深い明け渡しです。
ハートを開き、マスターとひとつに、宇宙とひとつになるとき、私たちの生の目的は達成されるのです。
ショバナが辿ったOshoとの愛と覚醒の軌跡
彼女が26歳でOshoに出会い、直接指導を受ける機会が与えられ、彼女自身の生そのものが変容していく過程を描いた物語は『生の変容』という一冊にまとめられています。
この本は、わたしトーシャンが日本語監修を務めております。そのせいなのかどうか分かりませんが、読み返す度に泣かずにはいられません。
自分自身の無知や意気地の無さを、彼女と彼女の物語に投影しているだけなのですが。わかっていてもなお涙が止まることはありません。
この本に込められたメッセージは、わたしへのメッセージであり、あなたへのメッセージです。
現在、彼女は80歳を超えていますが元気にしていらっしゃいます。だからこそ、彼女が生きている間に1人でも多くの人にこの本に触れてもらい、感じてもらいたい。
そして出来ることなら、彼女に会って、彼女の臨在とともに瞑想するチャンスをつかんでほしいと心から願っています。
世界が一変した今、80歳を超えたショバナとリアルで会うことが難しいかもしれません。
が、もしもオンラインでつながってもらえるようなことになったら・・・・!
あぁ、これは想像しただけで、ドキドキしちゃいます。
でも不可能でないかもしれません・・・。
まずは、この本を手に取ってみてください。
ラクシャ・バンダンのお祝いに寄せて。
トーシャン