タントラ瞑想[経文47]

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Vigyan Bhairav Tantra シヴァがシャクティに語る愛の言葉

ヴィギャン・ヴァイラブ・タントラ〜112の技法のなかに音に関する瞑想法が12ほどあります。
全体の約1割に相当するほど、音に関する技法がシヴァによって語られています。

へぇ〜そうなの?音の瞑想?

そうなんですね〜。
自分がもし音に、耳に、聴覚に敏感なタイプだとしたら、これらの瞑想法が自分の瞑想法になるかもしれません。

その音に関する瞑想法のなかでも経文47は、シヴァシャクティのコースでも頻繁に実践する瞑想法のひとつ。

自分ひとりで出来る、とってもシンプルな瞑想法なので試してほしいな。

でもヴィギャン・ヴァイラブ・タントラ瞑想法は、そのひとつひとつの技法すべてに鍵がかかっています。

その鍵ーーただやみくもに名前を唱えているだけでよいのだろうか?ーーはシヴァシャクティのコースやリトリートのなかで分かりやすく誤解ないように伝授しています。

そして、自分のタイプをどうやって知るのか? についても一緒に探求していきますよ〜。

112通りの方法があるのですから、どれかひとつは《まさにこれが私の瞑想技法》が見つかるのです。

五千年の時間をかけて人類が研究実験して112種類の技法になっていったのですから、どんなタイプの人間にもドンピシャの瞑想法が必ずあります。

だからといって112通り全部やる必要はありません。
私たちと一緒に学んでいきましょう〜!

 

🌈💖光とエネルギーの円環
〜タントラリトリートin六甲💖🌈
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タントラ秘法の書
Vigyan Bhairav Tantra

The-Book-of-Secret-4

 

-47-
自分の名前の音に入る。
そして、その音を通じ、あらゆる音へ。

■第4巻
沈黙の音

音に関する瞑想法
<内容>
●音なき音 ●完全なる覚醒 ●マインドを落とす技法
●音から内なる沈黙へ ●セックスエネルギーの変容 他

http://www.shimin.com
市民出版社のタントラ秘法の書シリーズより一部抜粋。

 

 

 

シヴァとシャクティが出会う歓喜の旅

      with Uttam & Toshan

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シングル・カップル向けタントラ瞑想リトリート

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早割特典として参加費が1万円割引になります。

 

 

聴こえるように音を唱える。
それから少しずつ音を小さくしていくー
その感覚が沈黙の調べの中へ深まってゆくのに合わせて。

その音を小さくしていく。
もっとゆっくり、
もっと小声で唱える ー
自分でも聴くのに苦労するくらいに。

もっと小さく、もっと小さく . . .
するとそこに変化が感じられるだろう。

音が小さくなればなるほど、
あなたは感覚に満たされていく。

音が消え去るとき、
ただ感覚のみが残る。

この感覚は名づけられない。
それは愛、深い愛だ . . .
でもそれは
誰かに向けられた愛ではない。

それが違いだ。

音なり言葉なりを使うとき、
その愛にはラベルが添付されている。

たとえば、
「ラーマ、ラーマ、 ラーマ」という言葉に
深い感覚を持っている人がいるとする。
でも
この感覚はラーマに向けられている、
ラーマに限定されている。

この「ラーマ」を小さくしていくと、
やがて
あるとき、「ラー マ」は消え去る。
その音は消え去る。

ただ感覚のみが残る . . . 愛の感覚が。
それは
ラーマに向けられたものではない。
もはやそれは無指向だ。

ただ愛の感覚だけがある。
誰にも向けられていない。
「向き」さえもない。
ただ愛の感覚だけがある。

まるで愛の大海の中にいるかのようだ。

なににも向けられていないもの、
それはハートのものだ。

なにかに向けられているもの、
それは頭のものだ。

誰かに向けられた愛は、
頭を通じたものだ。

単純な愛は、
ハートのものだ。

そして、愛が単純で、
無指向であるとき、

それは祈りとなる。

もし愛がなにかに向けられていたら、
それはまだ祈りではない。

まだその途上だ。
だからこそ私は言うのだ ー

もしあなたがキリスト教徒だったら、
ヒンドゥー教徒として始めずに、
キリスト教徒として始める。

もしあなたがイスラム教徒だったら、
キリスト教徒として始めずに、
イスラム教徒として始める。

だが深くいけばゆくほど、
だんだんあなたはイスラム教徒や
キリスト教徒やヒンドウー教徒でなくなっていく。

ヒンドウー教徒や
イスラム教徒や
キリスト教徒というのは、
出発点にすぎない。

ハートに向って進むにつれ . . .
音がもっと小さくなり、
感覚がもっと大きくなるにつれ、
だんだん
あなたはヒンドウー教徒でなくなり、
イスラム教徒でなくなる。

そして音が消え去るとき、

あなたはただの人間になる。

ヒンドゥー教徒でも
イスラム教徒でもキリスト教徒でもない。

これこそが
宗派あるいは宗教の意味するところだ。

宗教はひとつであり、
宗派は多数だ。

宗派は「始め」に役立つ。
それを「終わり」だと考えたら、
もうそこでおしまいだ。

宗派は始めでしかない。
大事なのは、
それを去り、それを超えていくことだ。

始めは終わりではない。
終わりには宗教がある。

始めには宗派しかない。
だから要は、
宗派を使って宗教へ向かい、

限定を使って非限定へ向かい、
有限を使って無限へ向かうことだ。

どんな音でもいい。
自分自身の音を見つけてみる。

唱えてみれば、
自分がその音と
愛の関係にあるかどうかわかる。
ハートが振動を始めるからだ。

身体全体がだんだん敏感になっていく。

ちょうど恋人の膝上に抱かれるように、
なにか温かいものの中に
落ちていくような感じがする。

なにか温かいものが
自分をおおっていくように感じる。

それは物理的な感覚でもある。
ただの心理的なものではない。

自分の好きな音を唱えれば、
きっとなにか温かいものが感じられる ー

自分の周囲や、内側に。
すると、この世界は冷たくない。

この世界は温かい!

ヒンドウー寺院に行ったことがあれば、
きっと、ガルバグリハ、

「子宮の家」について聞いたことがあるだろう。

寺院の最奥の中心は、
ガルバ、「子宮」として知られている。

なぜ子宮と呼ばれるのだろうか。
寺院には、それぞれの音があり、
それぞれのマントラがあり、

それぞれのイシュタデヴァータ、
「神格」があり、
そして
その神格に関連するマントラがある。

その音を唱えれば、
ちょうど母の子宮にいると同じような
温かさが現れる。

だからこそ寺院のガルバ、
子宮は、
母の子宮にそっくりに作られるのだ ー
円形で、

入口がひとつあるだけで、
あとは窓もなにもない、

キリスト教徒が
初めて
インドにやって来たときの話だが、
ヒンドゥー寺院を発見したとき、

ひどく非衛生的なところだと思った ー

全く換気されず、
入口はたったひとつしかない。

だが子宮も同じだ、
入口はひとつで、
まったく換気されない。

だからこそ寺院には、
子宮のように、
ひとつの入口しかない。

そしてその音を唱えたら、
その子宮は生命を持つ。

また、それがガルバ、
子宮と呼ばれる理由は、
もうひとつある。

それはあなたが
そこで新しい誕生を受けるからだ。
あなたは新しい人間になる。

自分の好きな音、
なにか感じる音を唱えれば、
自分のまわりに音の子宮が創り出される。

だから
この技法は外でやらないほうがいい。
あなたはとても弱い。
自分の音で空全体を満たすことができない。

だから小さな部屋を選んだほうがいい。

また、
その部屋が
自分の音に共鳴するようだといい、
役に立つ。
そして毎日同じ部屋を選べるようだとたいへんいい。

その部屋は充電される!
同じ音が毎日繰り返されると、
原子すべて、
空間そのものが特別の場を形成する。

だからこそ、
寺院には異教徒の入場が許されないのだ。
メッカには、
イスラム教徒以外は入れない。

それはいいことだ。
ベつにおかしなことではない。

なぜならメッカは
特定の科学に属しているからだ。
イスラム教徒でない人がそこに行くと、
その人の音によって、
その場の空気全体が乱されてしまう。

だから、
たとえイスラム教徒が
ヒンドゥー寺院に入れなかったとしても、

それは侮辱ではない。

ところが社会改革者の中には、
寺院や宗教や秘教的科学について
なにも知らない人々がいて、

みな馬鹿げた標語を掲げながら、
すべてを播き乱している。

ヒンドゥー寺院はヒンドゥー教徒のものだ。

それは特別の場所、
特別あつらえの場所だ。

何千年もの間、
人々は
それを生きたものにしようと努めてきた。
それを播き乱すのは簡単だ。

それは非常に危険なことだ。
寺院は公共の場所ではない。
特定の目的のための、
特定の人々のための場所だ。

見物人のためのものではない。
だからこそかって
見物人は中に入ることができなかったのだ。

今では入ることができる。
私たちは自分のやっていることがわかっていない。
見物人を中に入れるのはよくない!

寺院は見るための場所ではない。
観光の場所ではない。
特定の波動に満ちた特別あつらえの場所だ。

たとえばそれがラーマの寺院で、
あなたはラーマの名前を
崇め愛する家庭に生まれたとする。
そのあなたが、
ラーマの名前で満ち満ちた空間に入ったら、
たとえ自分では唱えたいと思わなくても、

たとえ自分では
ラーマのマントラを使っていなくても、
きっとそれを唱え始めるだろう。

あなたはまわりじゅうの空間にせき立てられる。
まわりじゆうの波動に打たれる。
それであなたは奥深いところで唱え始める。

だから場所を利用するのだ。
寺院というのはいい。

こういった技法は寺院の技法だ。
寺院とかモスクとか教会などがいい。

普通の家はあまりよくない。
家の周囲の空間は、
いろんな音によってもはや混乱状態だ。

ところがあなたは、
自分の音だけで
空間を変えてしまえるほど強くない。
だから特定の音に属する特定の場所へ行き、

その場所を使ったほうがいい。
同じ場所に毎日通ってみるといい。

少しづつあなたは強くなる。
そして少しづつマインドからハートへ落ちていく。

そうなったら、
どこでもこの技法はできる。

宇宙全体が自分の寺院となる。
そうなればもうなんの問題もない。

でも最初のうちは場所を選んだほうがいい。
そしてさらに、
毎日きっかりきまった時間にできたらいい。
そうすれば寺院があなたを待つ。

きっかりその時間に、
寺院はあなたを待つ。

すると寺院はもっと受容的になり、
その空間全体があなたの到来を喜ぶ。

それはあくまで物理的なものだ。
象徴的なものではなく、
物理的なものだ。

それはちょうど、
毎日きまった時間に食事を摂るのと同じだ。
きまった時間になると身体全体が空腹を感じる。
身体には身体の時計がある。
身体はきっかりその時刻になると空腹を感じる。

また毎日同じ時間に眠りにつけば、
身体全体はそのきまった時間になると準備を整える。
もし眠る時刻と食事の時刻を毎日変えたら、
身体の調子は崩れてしまう。

最近の話によると、
人間の寿命はそれによって影響されるそうだ。
もし身体の時間割りを毎日変えると、
本来なら八十年生きられるところ、
七十年しか生きられない。
十年損をする。

一方、
身体の時計に合わせて生きれば、
八十年生きられるところ、
九十年は容易に生きられる。
十年も得をする。

まさにこれと同じく、
あなたの周囲にあるものすべてには、
それ自身の時計がある。

そして世界は宇宙時間の中で動く。
だから
毎日きっかり決まった時間に寺院に入れば、
寺院はあなたを迎え、
あなたは寺院を迎える。

この二つの「迎え」が合わさるとき、
その結果は千倍に増幅される。

あるいは
自分の家に小さな一角を設けてもいい。
だがその場合、
その一角を他の用途に使ってはいけない。
それぞれの用途にはそれ特有の波動がある。
もしその一角を仕事に使ったり、

トランプ遊びにつかったりしたら、
その空間は混乱してしまう。
その混乱は現在、
機械装置によって記録できる。
空間の混乱は検出できる。

自分の家に、
小さな一角を、
小さな寺院を作れたら、
とてもいい。

小さな寺院を作る余裕があったら、
それが一番だ。

でも他の用途に使ってはいけない。
厳密に自分の私用に限る。

そうすれば結果はたちまち現れる。

OSHO

 

※OSHO講話は、広島・竹原市にあるOSHOフレグランス瞑想センターFBページよりシェアさせて頂いています。ありがとうございます。

https://www.facebook.com/OSHO-FRAGRANCE-MEDITATION-CENTER-484753351588900/?fref=nf&pnref=story

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配信記事​
Day 1 なぜ不安なのか?
Day 2 そもそもタントラって何?
Day 3 タントラの歴史をちょい紐解いてみる
Day 4 タントラは、私に向いている?
Day 5 実際どんなことやるの?
Day 6 タントラ=セックス?
ありがちな誤解と間違い
Day 7 タントラを始めると手に入る将来

この記事を書いた人

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Toshan

タントラとは何か? 私とは何か? トータルに生きるとは?自分を探求する情熱がとまらず、インドに暮らして20年になろうとしています。

現代に蘇ったタントラの聖典であるヴィギャン・ヴァイラブ・タントラハートを開き宇宙とひとつになる112通りの瞑想秘法』をパートナーのウッタムと共に実践し、日本やインドでワークショップ&リトリート開催。

世界が一変した2020年以降は、オンラインで学べるタントラ・ティーチャー養成講座を中心に、本来の自分を取り戻し喜びと共に人生をハッピーに生きる愛の道タントラを分かち合っている。

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